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2005年05月31日

とりあえず、石を投げる

目標がなければコーチングは始まりません。
しかし、自分で目標を設定するという習慣がないために、
目標を設定するのが困難な場合もあります。

幼稚園から大学まで、受験も含め、
常に外側に目標のセットされた環境に育ってきて、
いきなり「目標」と言われても、目標や目標設定というものに実感が持てません。
また、目標と改めて問われると、ずいぶん大きなものをイメージしてしまったり、
自分の立てた目標は、本当に自分の目標として適切かどうか迷ってしまう。
それから、目的と目標の違いが見えない。

そういうときは、とりあえず石を投げる。
どこへ向けてでもいいので石を投げる。

つまり、その日のうちにやることを、なんでもいいから決める。
それはどんなことでもいいのです。

1時間後、5分後でもいいです。

どこかへ行く。
何かを終わらせる。
自分を成長させる。
関係を築く。

なんでもいいから目標を決めて、それに向けて行動を起こす。
それも今すぐに。

目標は何かを考えるのではなく、
どれかひとつを選んで、それをやってしまう。

石を投げる。その結果生じることが、また次の目標につながり、
やがては、目的を明らかにします。

それはまるで、コップの中に沈殿していた、
さまざまなものをかき回すのにも似ています。
動かしてみて初めて、自分の内側あるものを見ることができます。
沈殿しているものをシェークする。何かを起こす。
それ以前に何を話しても、堂々巡りを繰り返します。

まず、石を投げる。


そういえば、子どもの頃、
石を投げて、隣の家の窓ガラスを割ったことを思い出しました。
いつ発覚するかと脅えていましたが、
私が高校生の頃には、家ごとなくなりました。

「なんだ、はやく言ってくれればいいのに」

2005年05月29日

シェピエ

その店には、最初、スイス人の友達に連れて行ってもらいました。

当時、私は渋谷の宮益坂を上って左側すぐのビルの中に
オフィスを借りていました。
近くには「志賀昆虫」、「こどもの城」などがあります。

シェ・ピエールはその近く、1階に花屋の入っているビルの地下にありました。
小さな店で、カウンター越しにピエールさんがいて、
いろいろお話をするのでした。

それから、その店は青山に越して、
私はその間に、赤坂に越して、それから原宿に越しました。

彼はその後、青山墓地の前に越しました。
私はその後、一番町、そして三番町と越しました。

彼が青山の店から引っ越した後、
私が青山墓地の店に行ったのは、ずいぶん後で、
それはちょっとした偶然でした。

本当に15年ぶりぐらいでのぞいたら、
同じあごひげのピエールさんがいて、
二人で、「あれから何年経った?」なんて話して。

20年? 25年?
いいえ、30年です。
 
今日はそこへ行きます。
サラダとワインでどうでしょうか

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2005年05月27日

お医者さんコーチ

お医者さんがクライアントをコーチする。
そのお医者さんたちのコーチを依頼されて
1年間続けたら、今日、彼らが神楽坂でご飯をご馳走してくれることになりました。

特にお医者さんだからといって
特別なコーチングがあるわけではありませんから、
トレーニングではいつものように、いろんなことを話します。

最初は「どうなるんでしょう、この人たち」という感じでしたが、
それでも、後半の方になると、
彼らの話につい引き込まれる瞬間がありました。

決して華麗なコーチングではないのですが、
時間の経過とともに、そこに会話ができあがっていく。
その話を聞くのはとても素敵なわけです。
 
最初のうちは「ビジョンはなんですか?」なんて
クライアントに聞いたところ、

「『わかりません』って言われてしまったんですけど、
そういうときはどう聞いたらいいんでしょうね」

なんて、私のクラスで聞くので、

「それで、君のビジョンは?」

なんて聞き返すと

「え!」とか「う!」詰まっていたのですが、
終わりの方は、そういう木で鼻をくくったような質問もしなくなって、
クライアントの方があれこれ話すようになってきて、
それが嬉しいと言っていました。
 
散々けなしていたのですが、
実は、私はときどき感動していました。

2005年05月26日

神田

神田まつやのすぐ近くには、神田藪そばがあります。
藪そばは、他に浅草、上野、上野池之端にもあります。
きっと、もっとありますね。

上野池之端の藪そばで、ちょっと変わっているけどおいしいのは
「巣ごもり」と言って、蕎麦を揚げたものです。
そば屋にはない食感です。

神田藪ですが、すぐ近くには「ぼたん」という鳥鍋屋があります。
どうも、神田藪とぼたんは親戚のようです。

毎年暮れには、ぼたんで大忘年会をやります。
私は鳥鍋は食べませんが、雰囲気は最高です。
畳敷きの大広間に50人も60人も座って、なんだかとっても盛り上がります。
椅子という制約がないのがいいんでしょうね。

どこにでも移動して、車座になって喋っています。
炭火の上に小さな長方形の銅鍋をおいて、そこに具を入れます。
私も、豆腐と糸こんにゃくだけは食べます。

これが、なかなか美味しいのです。
食べるものは、それとおしんこだけなのですが、満足度は高い。
 
そうそう、神田藪ですが、

それは、また明日。

2005年05月24日

梅そば、竹福

山形には『梅そば』と『竹福』という蕎麦屋があります。
『梅そば』と『竹福』の店主は、実は兄弟です。
ここで興味深いのは、なぜ梅と竹なのか。つまり、松じゃないのか。

そこで、聞いてみました。

「松はどうしたの?」

すると、なんと二人は神田『まつや』で修行をして山形に帰り、店を開いた。
だから「松」は神田。残った「梅」と「竹」という名前をもって、
山形で開店したんですね。

『竹福』のゆずきり蕎麦は、なかなか美味しいです。蓬蕎麦も美味しい。
もしかすると、蕎麦そのものは山形の方が
『まつや』よりも美味しいかもしれません。

しかし、ゴマ蕎麦を食べると、
やっぱり『まつや』には一日の長があります。
後は、あのお店の雰囲気ですね。
いつも混んでいるのですが、相席でも居場所があって、しっくりします。
 
それでもって、昼から熱燗を飲んでいるお客がいて、
その飲み方を見ているだけでも楽しい。
徳利とお猪口をにらみつけて、他には目もくれず、
そこに人生の全部を持ち込んで、お猪口に口を運ぶ。
くれぐれも、酒飲みはお猪口を口に運ぶようなことはしない。

彼らは、口をお猪口の方に運んでいくのです。
そこが、酒飲みの所以でしょう。

これも『まつや』の雰囲気で、
浅草あたりでは、いまでもあちらこちらで見ることができます。
私の子どもの頃にはよく見かける風景でした。

さて、神田『まつや』の近くには、『薮そば』があります。
それについては、また近日。

2005年05月21日

ストレッサーを減らすために

何もしない。
 
同じストレッサー下にありながら、
過剰にストレス反応を起こすときと、特にそうでもないときがあります。
過剰な反応を起こすのは、過敏だったり、驚きやすかったりするときです。

そういうときは、恒常的にストレスのレベルが高いわけですから、
レベルを下げる必要があります。

そのためには、お風呂に入るとか、少しアルコールを飲むとか、
アロマテラピー、マッサージなど、いろいろあります。

でも一番大事なのは、「何もしない」でいることです。
「何もしない」ということも、しない。
何もしないでいても「いい」という承認を、自分に与えることです。
 
『人間はいつかどこかで、
そのままの自分に価値があるということに気づく必要がある』
                ----- フェルデンクライス
 

もう少し、やせるか。

2005年05月20日

ストレス

ストレスについては、以前もか書きました。
ストレスを引き起こす原因は、ストレスではなく、
ストレッサーであるということ。

嫌な上司はストレスではなく、ストレッサー。
締め切りもストレッサー。
ストレスを解消するために飲む酒も、
実はアルコールという化学的ストレッサー。

ストレスをコントロールするということは、
ストレッサーをコントロールすることでもあります。
あまりにも多くのことを一度に、それも短時間にやるのは、
ストレッサーを過剰に受けることになります。
その結果、心身は当然ストレス反応を起こします。

たとえばスカイダイビングはストレッサーになります。
もし、飛び降りるときに身体を丸めて、地上ぎりぎりまで落下すれば、
大量のストレスホルモンと極度な緊張を経験することができます。
でも、地上に降りると、心身のストレス反応を抑えるための、
エンドルフィン(ヘロインのようなもの)の大量分泌によって、
恍惚とした感じを味わうことができます。

よく、達成感を味わうために、大量のストレッサーを、
自分から受けてしまうときがあります。
それは、すでに一種のエンドルフィン依存ともいえます。
しかし、これを繰り返すと、人間の身体には、当然無理が生じることになります。

つけはかならずまわってきます。

達成感とか、充実感とか、満足感とか、
あまりこういう言葉にこだわらないことです。
できるだけストレッサーをかわして、
ドラマチックなことは、映画にまかせ、極力、普通でいることです。
 
幸福は普通の人のためのものですから。

2005年05月18日

今日は大阪往復

今朝は6時過ぎの新幹線で大阪に行って、講演をして、
とんぼ返りで東京に夕方の6時半。
久しぶりの講演でした。とても楽しいと思いました。

この世界には、プレイヤーとアンパイヤがいます。
私はプレイヤーでいるときが幸せです。
いろいろとわかったようなことを言っているときは、どこか窮屈なのです。
でも、プレーをしているときは、とても楽しい。
それに、いいプレーをするための準備も、
日ごろのトレーニングも、とても気分がいい。
私は「生涯プレイヤーでいたい」と思ったのでした。
自分のプレーを通して、人に感動を与えたい。
 
私の後の講演者は、
シンクロナイズド・スイミングの井村さんでした。
少しお話したのですが、とても素敵な方でした。

なんと、オリンピックに、コーチとして6回参加しているのだそうです。
そして、オリンピックで大事なのは、
メダルをとることではなく「何色をとるか」なのだそうです。
 
そういえば、私のコーチも、元「ロウイング」のコーチで、
彼は、開口一番私に言ったのでした。

「金メダルをとろう」

それは、これまでで最高の励ましでした。

「金メダルをとりにいこう」と、今日も思ったのでした。

2005年05月16日

人は生き物だから

体内時計という言葉はご存知だと思います。
およそ24時間とちょっと。
この「ちょっと」の部分は、4年に一度のうるう年で、調整をしています。

この体内時計が狂うと、人間には思いのほか辛い。
時差もそうですし、少しずつ移り変わる季節、
特に日照時間が、人間に与える影響もあなどれません。

イギリスや北欧などでは、
日照時間の短い時期には、デイライトを浴びることで、
「今はお昼ですよ」と体内時計に教えます。

昼夜逆転させるような生活をしている人、
たとえばシフトワークなどについている人は、
実は、大きなストレスを被ることになります。
 
時間がないので、結論を言いますが、
要するに、いっぱい寝ないと
体内時計の調整がうまくいかなくなりますよ、ということです。
特に季節の変り目は。

2005年05月12日

iPod

今、私のiPodには、約12000曲入っています。

この間までは4000曲だったので、約3倍。
ギターの先生に入れてもらったのですが、これはもはや、別世界。
自分ではとても目を向けないようなプレーヤーや楽器も登場します。

たとえば、ウクレレで Theme from New York, New York。
頭が異次元にトリップします。

すごく嬉しい。

意外。
それに触れると感性がよみがえります。

いつだって感性は、未知に一歩踏み込むことで磨かれます。

予定外。

何てすばらしいのでしょう。

予測はすばらしい。
でも、予測が外れるのもすごくいい。
 
これから、チック・コリアの「スペイン」を聞きます。
30年前の曲です。


今、しっくりきます。

2005年05月10日

要求する

一言で言えば、コミュニケーションとは、相手に何かを要求することなのです。

もっと簡単にいえば、「誘う、口説く」。
これがコミュニケーションの目的になります。

会話には、そこまでの目的がありません。
対話の目的もまた違います。

今は会話、
今は対話、
今はコミュニケーション、

と使い分けでできないことが、
人間の関わりを難しいものにしているのかもしれません。
   

2005年05月06日

質問に対しての答えとは project

これは何度も言っていることですが、
質問に対しては、答えを出すのではなく
質問の内容をハッキリさせるために、質問に対しては、質問をする。
または、その質問の出し方や、内容に対して要望する。
それから、提案をすることもあります。

そして、情報として自分の状態や、
自分の感じていることを伝えることができます。
質問に対しては、質問、提案、要望、そして情報の中から、
どれかを選んで、それを発信する。

それに対して、同じように、質問、提案、要望、そして情報が帰って来る。
それを繰り返すのがコミュニケーションになります。

コミュニケーションの内容とは他にありません。
もちろん、そのとき、そのときの感情の起伏もあります。
それは、情報として伝えることができます。

質問は、テストではありませんから、
そこで正しい答えをする必要はないのです。

その質問を受けて、その質問の意味を十分に理解すること。
そこからコミュニケーションは始まります。
   
では、道を聞かれたらどうするのか?

それは、自分の持っている情報を提供して完了になります。
質問、提案、要望、情報、それらを繰り返し、
最終的には同意を創り出し、
コミュニケーションを完了させることが目的になります。
   
質問、提案、要望、情報。
このキャッチボールには、お互いの間に
プロジェクトがあるということが前提になります。

もし、そこにプロジェクトがなければ
コミュニケーションを交わす必要もありません。
また、そこでコミュニケーションを交わすことで、
プロジェクトは発展します。
   
コミュニケーションと会話の違いはそこにあります。
コミュニケーションはプロジェクトベースなのです。

会話は、とくにそれを必要としません。
対話もまた、プロジェクトを必要としません。

正確にはプロジェクトの質が違うわけです。
   
   
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コメント欄をクローズしていまが、
近日、また再開したいと思っています。
事前にいくつかルールを決めてご参加いただきたいと思っています。

コミュニケーションについて、コーチングについて、
フィードバックやコメントをいただけると、
きっと深まると思っています。

また、質問にも、何かお答えできるのではないかと考えています。

2005年05月04日

質問を創りだす「旬」

クライアントが退屈するのは、
質問と、質問をしている側のノンバーバルな情報が一致していないから。

どう考えても、自分に本当に興味があるとは思えない。
または、単なる興味本位から聞いている。
自分をおとしめるための質問。
質問そのものの意味がハッキリしない。
質問が的外れである。
質問によって出た答えを深めるための、第二の質問がなされない。
本来、質問に対する答えというものはなく、
質問に対しては、「質問、提案、要望、情報」が返されるものであるが、
質問に対して答えを要求してくる。
  
「効果的な質問」

この言葉を誤解している傾向があり、
何かセンセーショナルなことを引き出す質問(セリフ)があるものだと
思い込んでいる節があります。

もちろん、そんな質問はありません。
本などに書かれている質問は、確かに役に立つものもたくさんあります。
しかし、どんなにいい質問でも、それは「旬」な質問ではありません。
質問には「旬」があるのです。

どんなことを質問するかではなく、
旬な質問、タイムリーな質問である必要があります。

人に対する興味、人生に対する興味、
ビジネスや専門分野に関する十分な知識と経験、
常日頃の鍛錬、自分へのフィードバックに対して真摯であること、
自分も常に質問を受け、視点を新たにしていること。
そして、これをどのようにトレーニングできるかは、
なかなか難しいのですが、「旬」な質問をすることができること。

さしずめ今なら、初夏の質問ですね、

2005年05月03日

父とゴルフ

84歳の父とゴルフをしました。

父は久しぶりで、最初は臆していました。
「歩けないかもしれない、足手まといになりたくない」
なんて言っていながら、それでも、数ホール目でナイスショットを飛ばすと、
その瞬間、目つきも変わり、歩き方も変わり、
次のナイスショットに向けて、フォーカシングするのです。
 
「努力しなさい」なんて言うのは、野暮天ですね。
やっぱり、一発のナイスショットほど、やる気にさせるものはありません。
私はコーチとして、クライアントには、
まずは、一発のナイスショットを打ってもらいます。
後は、次のナイスショットに向けて、フォーカシングします。
一発のナイスショットほど、力のあるモチベーションはありません。
 
ときに、一発のナイスショットを忍耐強く待つこともあります。
時間のかかるときがありますが、
私の経験では、必ずナイスショットを打ちますね、誰でも。

その瞬間、ぞくぞくします。わかっていても。

2005年05月01日

山形の桜

ついこの間まで、山形では連休に花見をしました。
でも、今はもうすっかり葉桜です。

温暖化は本当に進んでいて、
ご存知のように、山形の名産にさくらんぼがありますが、
やがてさくらんぼの名産地は、秋田や青森になるでしょう。
米どころ北海道、とかになるんでしょうかね。

東京で花見をして、連休に山形で花見をするのは、
ちょっとした楽しみでした。
自然は本当に変わってゆくのですね。
 
こうしてみると、変わらないのは、人間だけですね。

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