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2005年12月13日

通じる言葉

遺伝子は、人間の身体というビークル(乗り物)を乗り換えながら、
時間を旅しています。
遺伝子の目的は、遺伝子を生き残らせることにあります。
そのようにプログラムされているのです。
遺伝子にとって、身体を必要としている間は、
身体を生き残らせることに最大の努力を払いますが、
次の身体が用意されれば、
遺伝子の身体に対するケアは著しく低下します。

「私」という意識は、当然、遺伝子と身体では、身体の側にいます。
したがって、遺伝子が、生存確率を上げるためのコミットメントを落としたときでも、
意志を働かせて、身体の機能を低下させないように
働きかけなければなりません。

「遺伝子は、おまえを用無しだと思っているけど、そんなことはない。
おまえは、まだまだ必要とされている」

私は、遺伝子にプログラムされた人生にこれからもチャレンジして、

人生は、遺伝子にプログラムされた通りのものではない、
人間は自分の意志で、プログラムを変えて行くことができるんだ、

と身体に伝えたい。

身体とは、脳も全部含んでいます。

病気になることや、老化は、避けられないものではない。
偶然ではない。
どんな人生にするかは、自分の手に委ねられている。
 
これは私が、アンチ・エイジング、
もっと正確には、老化を遅らせるプロジェクトにコミットしている理由です。

まずは、自分とのコミュニケーションを実現させる。

メディテーション、それも、自分とのコミュニケーションの状態、
場(プラットフォーム)を指すものだと考えています。

生きているということは、
そこでコミュニケーションが交わされているということであり、
人は関わりの中に生きているわけですから、
どういうレベルで関わりを創りだすかは、
課題として、いつだって目の前にあるわけです。

2005年12月12日

通じる言葉

私たちは普段いろいろと話していますが、
実のところ、相手にどれだけ通じているのかはよくわかりません。
とりあえず、自分の言ったことは理解されているという前提でいますが、
実は、案外そうでもありません。

自分とのコミュニケーションでもそうです。

明日起きる時間
ダイエット
運動

どれも頭で企画しても、身体は同意していない。
身体に通じる言葉は、きっと違うのでしょう。

また、身体から送られるメッセージも言葉ではありませんから、
なかなか理解できません。
それを通常の言葉に翻訳した途端に、訳がわからなくなります。

身体から送られるメッセージを受け止め、それを理解すること。

それができている人は、どのぐらいいるのでしょうか?
また、身体にメッセージを送れる人は、どのぐらいいるのでしょうか?

ところで、三浦敬三さんは101歳にして、
毎日、ジョギングをしているということです。
ウォーキングではなくジョギング。

そして、走り終わった後、気分がいいと、
つまり、自分に適切な運動であったと判断していると言っています。

この言葉から、三浦敬三さんは、
身体とコミュニケーションを交わしていることを\n察することができます。

私は、コーチをしています。

コーチングの目的のひとつは、クライアントが、
自分自身とコミュニケーションを交わせるようにすることにあります。

自分の考えていること、自分の感情、欲求、行動、思い。

これらとコミュニケーションを交わせるようにすること。

2005年12月02日

たとえばゴルフでは

たとえばゴルフでは、「70%ぐらいの力でスイングしなさい」とか、
「80%ぐらいのスイング」とか、よく言われます。

しかし、自分が常に100%の力でクラブを振りたいと思っている選手は、
「クラブを思い切り振りなさい」というコーチのもとへ行き、

「思い切って振りなさい」

という言葉を聞くでしょう。

つまり、私たちは、自分の聞きたいことを言ってくれる人を探し出し、
その人のところへ行き、聞きたい言葉を聞くのが好きです。

もちろん、耳に痛いようなことを、わざわざ聞きに行く人もいます。
「どうして?」と思われがちと思われがちですが、
それだって、そのとき、それを聞きたいからです。
「耳に痛い」、「ショッキングことを聞きたい」
そういうことってありますから。
 
ところで、「人間の身体は、脳の指令を受けてそれに基づいて動く」、
そう一般には考えられています。

しかし、最近、友人におもしろい話を聞きました。

手の指を動かすとき、脳からの指令で指を動かしているのではなく、
すでに身体の方は、指を動かす用意ができていて、
指が動こうとしているときに、脳から信号が送られる。
脳が「動け」の信号を送っているというよりは、
指が動くとき、最終的に脳が同意している、
または、指の判断と脳の判断を一致させて、初めて動く、
そういうことが起こっているのかもしれません。
 
私たちが、行動を変えたり、考え方を変えたりするときには、
情報やイベントによってそうするのではなく、
最終的に、そこに必然性をつくるのかもしれません。

そういう意味では、私たちの人生に偶然はないのかもしれません。

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