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読字障害について
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私のLD誇りを見つけること! ――リズ

これは、私の学習障害が恥じるものではないと受け入れるために、私がどのようにしてきたかという話です。私は多くの強さを知り、私が知らなかったスキルを見つけました。そのことを私は他のLDをもつ子どもたちに伝えたいと思っています。

6歳の9月、夏が終わり学校へ行きました。周囲には以前と違う生徒たちがいました。私は幼稚園にいたのです。私の両親は、私の誕生月が間違っていたので、幼稚園を繰り返さなければいけないのだと説明しました。

私は、その本当の理由が、クラスメートが100まで数えられる中で、私が10まで数えることができないからだと知りませんでした。私は靴紐を結ぶことができませんでした。名前を書くこともできませんでした。

私は、私の障害について一年生の担任と両親とが話しているところを良く覚えています。私はそこに参加できませんでした。しかし私は何について話しているのか、分かっていました。私は算数が上手くできなかったことを隠そうとして、机の中に算数の教科書を隠しました。

すぐに私は医者から、インタビューを受けることになりました。私は彼女が怖く、すぐ嫌いになってしまいました。したがってうまく行きませんでした。数年後、私はこの医者が大きな小児科病院に所属する、非常に優れた児童精神科医であることを知りました。

私は結局、特殊学級に移動させられました。私は何が「特殊」なのだろうと思いました。単なる正常な子どもだと考えていたのに、学習障害によって「特殊な」子どもにさせられてしまったのです。

私は2年間、特殊学級にいました。そして普通クラスに徐々に移りました。それは学習の面ではスムーズに行きました。しかし人間関係においては、上手くいきませんでした。ユーモアを理解したり、会話についていったり、ボディーランゲージを理解したりすることが、難しかったのです。その結果、周囲の子どもたちは私と遊ばなくなりました。そこで先生は私に友達を割り当てることにしました。「あなたは敗北者です。だから、あなたに友達を割り当てなければいけない」私はこのような社会的拒絶を繰り返し受けてきました。学習障害の一種だったのに、誰も理解しませんでした。

高校時代に入って・・・・

数学、科学、フランス語の困難を補うために、私は一日中、学校の自習室にいました。数学と科学が必修授業になったので、私は非常に苦しみました。グループワークの時はさらに大変でした。実際、私は非常に不幸だったのです。そして精神障害者というレッテルを貼られました。薬物治療も受けました。私は両親に依存しすぎていました。

後から考えると、私の問題の原因を知ることによって、苦痛を防ぐことはできたと思います。ある日、私は学習障害協会にいました。学習障害チェックリストを記入して、私にどれだけ当てはまったかを知って、とても驚きました。多くの症状が社会的スキルと関係していたことを知って、さらに驚きました。

私の問題に「学習障害」というラベルを貼ることにより、私の回復が始まりました。ちゃんと理由はありました。私は精神的な疾患ではなく、知恵遅れでも、頭が悪い訳でもなかったのです。私は多くの有名人が学習障害を持っていることも知りました。

結局、私は全てを公にすることに決めました!学習障害を持っていても、社会的な成功を手に入れたり、社会人として生産性を上げることは可能です。私は私の新しい哲学を誇りにしていたかった。そこで「LDプライド」というウェブサイトを始めることにしたのです。

参考サイト
LD Online<Finding My LD Pride!−Liz Bogod>

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