コミュニケーションはキャッチボール

コミュニケーションの目的

コミュニケーションを交わす目的には、いま自分自身の理解している意味や解釈を確認し、調査すること、また、自分がすでに知っていると思っていること、常識だと思っていることが本当にそうであるかを確かめることにあります。

また、コミュニケーションを交わし、意味や理解を広げること、それによって、新しい思考、感情、行動を経験する、という目的もあります。

わたしたちがコミュニケーションを交わすのは、コミュニケーションによってもたらされる創造性を求めてのことでしょう。

コミュニケーションには、人間のさまざまな目的を達成させる力があります。どのようにも使えるものです。特にコミュニケーションを手段として考えれば、富や権力を奪取するために、アイデンティティを守るために、相手をおとしめるためにも使えます。

どのような目的のためにコミュニケーションを使うべきかを提言するのは、このページの目的ではありません。

それより、コミュニケーションとはどのようなものなのか? コミュニケーションを交わすことで、人は、自分はどのような影響を受けるのか? それをここで考えてみたいと思います。

コミュニケーションそのものについて、さまざまな視点から見る機会をもつことによって、わたしたちは、家庭で、学校で、職場で、コミュニケーションを交わす際の同意をとったうえで、それを始めることができるようになります。

一方的なコミュニケーションのルールのなかでコミュニケーションを交わすのではなく、上司も話すし部下も話す、先生は怒っていいが生徒も怒っていい、けっして仕返しはしない、最後まで聞く、などなど、お互いに同意をもって、コミュニケーションを交わすことができます。

コミュニケーションにグローバルスタンダードがあるかどうかは知りません。しかし、お互いがコミュニケーションをどのようなものだと考えてきたのか、そのこと自体を話題にすることで、コミュニケーションに対する理解を深めていくことが可能になるのではないかと考えました。

個人においても、組織においても、コミュニケーションに関する理解の深まりに応じて、コミュニケーションそのものも豊かになっていくのだと思います。質、量ともに、豊かなコミュニケーションが存在する環境をつくるのだと思います。

コミュニケーションについて、わたしが、みなさんにお伝えしたいと思うのは、以下のことです。

  • みなコミュニケーションは、そううまいわけではない。
  • コミュニケーションは誰か特別の人のものではない。
  • コミュニケーションについて、受け身になる必要はない。
  • コミュニケーションと言葉は、同じものではない。
  • 雄弁さと、コミュニケーションの上手い下手は、別のことである。
  • 誰でも投げたボールは受け取ってほしいものだ。
  • 伝わっているのは、言葉ではなく、気もちだ。

そして、

  • コミュニケーションは手段ではなく、それそのものが目的である。
伊藤守著『コミュニケーションはキャッチボール』(ディスカヴァー刊)より

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