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2006年04月07日

卒業式

先々週の土曜日は、大学院の卒業式でした。

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2年間、たくさんのレポートを書いて、論文をひとつ書きました。
本もいろいろ読みました。

本を読むのは確かに勉強になります。
自分では読みそうもない本も、読む機会がありました。
 
そういえば、MBAを取ったアメリカの知人が言っていました。

「要するに、ひとつのテーマについて、リサーチしたり、本を読んだり、
それも確かに大事だけど、それについて、教授を交えて、
とことん議論したり対話したりすることをを通して学ぶことに、価値があった」
 
もともとお勉強は、読書、リサーチ、そして対話によって
成り立っているのだと思います。
いつの間にか、対話や議論はどこかへ行ってしまった。

実際、対話や議論は、限られた論理的な人たちの独壇場のように思われてきた。
でも、論理的だけど感受性の低い人たちというのはどうなるんでしょうね。
 
対話や議論の場面で、

「それは、なんとなく腑に落ちない」とか、

「あなたの言っていることはそうなんだけど、
なんとなく気持ちがついてゆかない」

なんて言ったら、ここに感情を持ち込むなといわれて、
ジャンジャン、なんでしょうかね。
 
知性が理性だと、デカルトが言ったんでしたかね。
でも、最近わかってきたんです。知性だけが理性ではないと。

脳科学者の茂木健一郎さんの『脳の中の人生』には、
アメリカの神経科学者、アントニオ・R・ダマシオ博士の話が紹介されています。
ダマシオ博士は、私たち脳の中で情動系を司る部分は、
内臓から多くの情報を得ていて、
そのはたらきが、「これはいけそうだ」「これはだめそうだ」と
いう人間の直観を支えているというのです。

これはいけるとか、いけないとか決めているらしいということに。

つまり、感受性の低い論理的思考を振りかざす人は、
正しいが状況に合わない考えを押し通してしまうらしい。
出だしから間違うのかもしれません。

豊かな感受性を持っていることは、幸せの条件ですから。

有名な人とか、特別な人にならなきゃいけないなんて、
思わされてはいけません。

Posted by itohco at 18:20

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