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2006年10月20日

「わかったつもり」

西林克彦先生に社内の講演会に来ていただいたのは、
9月19日でした。

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人がどのように意欲をもつようになるのかについて、
とってもよく「わかったつもり」になった講演でした。

西林先生の本を読むのが一番いいと思いますが、

・わかったつもりという状態
・もっとわかりたいと思わなかった理由
・わからない状態
・わかったは状態は一つの安定状態

といったことについてお話ししていただきました。

浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、
その状態が「わからない」からではなくて、
「わかった」状態だからなのです。
わかったつもりが、そこから先の探索活動を妨害するのです。
  
文脈がわからないと、わからない

そりゃそうですね。
要するに何のことを言おうとしているのかがわからないと
わからないわけです。

スキーマ

スキーマって何のことだか、興味ありますか?

絵がわからないと、わからない話

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西林先生とは講演の前後にいろいろなことをお話できて、
とても有意義でした。
先生は教育者であり、教育学を専門にされています。
混乱している教育のありかたについて、
とてもシンプルなスタンスをもたれています。

たとえば、黒板を前に授業をやる意味について
先生とお話ししました。

私は、コーチングのイメージをわかりやすくするために、
キャンバスを前に、コーチとクライアントが座って話している絵を、
デザイナーに描いてもらったのですが、
その絵を先生にお見せしたら、
授業も同じイメージがいいとおっしゃっていました。
  
それで、詩とか絵とか、
それのどこを見るのか、
どんな風に聞いたり見たりするのか、
それについてもいろいろ話があって、
西林先生が藤田嗣治の展覧会に行った話になりました。

先生と話していると、絵を観に行きたくなります。

それは、以前ベンジャミン・ザンダーと話していたときに
感じた感覚と似ています。
ベンジャミンは言いました。

「クラッシック音楽は特別だ、
でもそれを楽しむのにはちょっとトレーニングがいる」

でも、その後、クラシック音楽をすごく聞きたくなった。
  
そういえば、息子に沢木耕太郎の本の講釈を受けて、
それから、沢木耕太郎を読むようになった。
  
私の場合、人を介して、興味の扉が開くようです。
それから、人を介して、
「わかったつもり」から、少し解放されるようです。

Posted by itohco at 12:15